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NMB須藤凜々花の結婚宣言は、ニーチェ哲学の実践であり、必然だ 〜AKBという禁欲主義的理想に反抗したアイドル〜

 昨日6月17日、フジテレビ系列で放送された「第9回AKB総選挙」にて、NMB48の須藤凜々花が、結婚宣言をしたことで、今ネットを中心に騒ぎが起きている。

 SNSの反応を見てみると批判の声が非常に多く、「恋愛禁止の掟を破った」「裏切られた」等のネガティヴな意見が見られる。

 

 確かに、恋愛禁止という前提を共有しつつ、今までアイドルとして活動してきて、その結果立つことができているステージで、このような発表をするというのは、一般的に考えれば、とてもありえない行為だろう。

 だが、この須藤凜々花が、哲学者ニーチェを尊敬していたという事実を考えれば、今回の騒動は、むしろ当然であり、予測すらできた行為なのではないだろうか

 

 須藤凜々花は、哲学好きとして有名であり、特にニーチェに傾倒していることを公言していた。皆さんは、ニーチェの思想をご存知だろうか。ニーチェは自身の著作を通じて、一貫してキリスト教的道徳=奴隷道徳へ反抗してきた。分かりやすく言えば、ニーチェというのは、「アイドルは恋愛禁止!」とは正反対にいる哲学者なのである。どういうことか、詳しくみていこう。

 

 ニーチェは、奴隷道徳(現代を支配している道徳と考えてよい)の裏側に、ルサンチマンがあると考えた。ルサンチマンとは、弱者が強者に対して嫉妬したり、怨念を持ったりすることである。そのルサンチマンを抱えた弱い人間同士が集まって、ルール(奴隷道徳)が成立していく。分かりやすいように、一つの例を提示しよう。例えば、モテない人生を送ってきた女性がいるとしよう。彼女は、男性にモテモテな美女を見たときに、嫉妬する(ルサンチマンを抱く)だろう。そしてモテない女性は、モテる女性をなるべく貶めようとする。モテる女性が男性に性的にアピールしているのを見ると、「あざとい」「ビッチ」「淫乱」などと言ったり、複数の男性と関係があることがわかれば、「不道徳だ」と騒ぎ立てる(不倫報道で、ものすごい勢いで叩き出す主婦層などがその典型だ)。そしてモテない女性たちは、集団を形成し、性に積極的な女性=悪であるような風潮を作り上げる。この風潮の中では、モテる女性は積極的に男性にアピールすると、同性から「ビッチ」など言われるため、空気を読んで、本来の自分の長所(容姿の良さ等)を活かすことができない。このようにして、弱者(モテない女性)が強者(モテる女性)に対して奴隷道徳(性に積極的な女性=悪)を作り上げることとなる。ここでは、弱者が強者を支配することになり、強者の長所(容姿が優れていること)は抑圧されて、女性たち全ては、より弱く生きる(女性らしい美徳を隠して生きる)ことが要請される。

 

 もっと正確に議論しよう。ニーチェの道徳に対する思想は『道徳の系譜』に分かりやすく収められているが、ここでは、ドゥルーズによるニーチェ解釈を引用する。ドゥルーズは、ニーチェの奴隷道徳成立を次のように整理している(ドゥルーズニーチェちくま学芸文庫 以下「」内が引用部分)。

 

「(一)怨念。おまえが悪い、おまえのせいだ…。投射的な非難と不平

これは、先ほど説明したルサンチマンである。弱者が強者に対して、反動的に怨念を抱く。「私だって鷲がするようなことは何でも、やろうと思えばできるはずだ。それなのに私は感心にも自分でそんなことはしないようにしている、だから鷲も私と同じようにしてもらいたい……」

 

「(2)疚しい心。私が悪い、私のせいだ…。内向投射のモメント」

強者に対する反動的なルサンチマンは、自分に返ってきて、内面化される。自分が罪深いと考える。そして反動的な諸力は、「最大限の伝染力を獲得」し、「様々な反動的な共同体を形成する」。

 

「(3)禁欲主義的理想。昇華のモメント」

先ほどの例のように、ルサンチマンが転倒して、様々な禁欲主義的なルールを作り出すことである。そこでは、「弱い生」が要請され(「反動的な生が望むものは、結局のところ生を否定することである」)、「すべてが逆立ち」した状態になっている。「奴隷たちが主人と名のり、弱い者たちが強い者と自称し、低劣さが高貴さと呼ばれる」。

 

このような禁欲主義的理想を、ニーチェキリスト教のような宗教に見いだした。しかし「神が死んだ」(ニーチェ)後も、それらは現代の我々にも脈々と受け継がれている。今も我々は、社会に蔓延る禁欲主義的理想を容易に発見することができるのだ。その一つの例がAKB系グループではないだろうか。

 

 AKB系グループとそれらを応援するファン達は、様々なルールを守ることによって連帯している。そのうちの大きな一つの制約として、アイドルの恋愛禁止がある。アイドルが恋愛をしないと誓っているおかげで、オタク達は安心して彼女達を応援することができるのだ。なぜ安心するのか?それは、オタク達は嫉妬心(ルサンチマン)を抱かなくて済むからである。本来であればアイドルのような、若くて綺麗な女性が交際をしていることは何ら不思議ではない。だが、彼女達がその快楽を犠牲にして、自分たちのために恋愛禁止を誓ってくれる、それを信じることによってオタク達は、他の男性に自分の大好きなアイドルが取られるという恐怖から解放され、初めて安心して応援することができるようになるのだ。

 

 すなわち、AKB系グループは禁欲主義的理想によって支えられている構造なのだ。そこではアイドル達の欲望は抑圧され、彼女達はより弱く生きることが強制されている

 

 さて、須藤凜々花はニーチェ哲学を愛しているのだった。ニーチェ哲学を愛する者は、あらゆるルサンチマンから解放されて、欲望に忠実に、より強く生きることを望む。そのため、弱く生きようとする人々には反抗することになるだろう。この文脈で考えれば、彼女が禁欲主義的理想に支えられたAKB系グループ全体に対して反抗したこと、自分が人を好きになった気持ちを押し殺すことなく、自らの欲望に正直に、世間にそれを公表したことは必然と考えられないだろうか。彼女は天然っ子でも頭がおかしくなったわけでは決してない。彼女は、人間が真に幸福であるとは何か、強く生きるとは何かということを誰よりも真剣に考えたからこそ自らを危険にさらしたのではないだろうか(彼女は『人生を危険にさらせ!』という本を書いている)。彼女は、ニーチェの思想を身を以て社会に対して示したのだ

 

 最後に、須藤凜々花のことを応援していたファン達は失望することはない。

 彼女ほど頭の良いアイドルはいない。彼女ほど物事をよく考え、自らの思想を体現するアイドルはいない。君たちはこの素晴らしき女性のファンとなったことを誇りに思うべきだ。もし君たちが今回の件で暗い気持ちになっているのであれば、それは自身のルサンチマンに苦しめられているからだ。ルサンチマンを克服せよ。君たちの愛した須藤凜々花を見倣って。

 

 

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あとがき

初めて書いたブログ記事です。これから宜しくお願いします。